2012年09月19日

脱原発をなぜ私が訴えるか Vol.1【改訂版】

はじめに

 日本は世界で唯一、1945年8月6日と8月9日に広島、長崎に原爆を投下され、5年間で約34万人の尊い人命を失いました。2011年3月11日午後2時46分、宮城県沖を襲った地震・津波によって約1万9000人の尊い人命を失い、さらには福島第一原発の燃料棒がメルトダウンを引き起こしたことにより、幾万人もの福島県民を路頭に迷わせ続けています。gzenpatu.jpg日本は世界のどの国も体験したことのない原爆と原発による被爆国として、原子力・核エネルギーが人類に与えるリスクをこの地球上全世界から無くする大きな歴史的使命を負っていると私は断言します。

 今、核武装した国、インドとパキスタンやイスラエルとイランの間の地域紛争、そして隣国・北朝鮮の核保有問題などから、私たちの身に核の恐怖が現実味を帯びてきています。そして2001年、ビンラディンがニューヨークの世界貿易センタービルに2機の航空機を突入させ、約3000人の罪の無い尊い命を一瞬のうちに奪い去ったというテロ事件、こんなことが何時どこで起きるかわからないのです。それが核であったなら、人類の滅亡につながります。9_11.jpg核の保有は核の抑止力になると言う人がいますが、私は核の恐怖を無くす唯一の手段は、核を持たない即ち核を無くすことであると訴えます。脱原発は核不拡散、核廃絶の原点ではないでしょうか。日本は3・11の東日本大震災で、福島第一原発のメルトダウンによる被曝という体験をしました。それを世界人類への教訓とし、私たちは今何ができるか真剣に考え、行動すべき歴史的使命を与えられているのです。

 私はかつて環境政務次官として、欧州原発事情の把握のために渡欧しました。日本が原発建設ラッシュの頃です。1986年の旧ソ連・チェルノブイリ原発事故を機にヨーロッパでは既に原発への不安から脱原発の動きが大きく芽生え、脱原発をスローガンとする「緑の党」などが欧州各地で活発な活動を展開し、イタリアが脱原発を選択していました。私は欧州各国の原発関係の専門家や市民運動家と意見を交わすなかで、原発への不安がつのり、特に地震大国・日本の原発は、国家そのものの存亡につながりかねないとの不安感を払拭することが出来なくなりました。そんななか、東北地方太平洋沖に発生したマグニチュード9.0規模の東日本大震災は、福島第一原発の崩壊を起こしたのです。息子が宮城県石巻市で小さな病院経営に携わっている関係で、私は震災の翌日から宮城県三陸地域での救援活動に没頭し、3月15日には福島県飯舘村、川俣町山木屋地区に家畜を救出してやりたい一心で現地に入りました。何日も通い、政府の対応の甘さやあいまいさのなか住み慣れた土地を離れざるを得ない方々と接し、何とも言えぬ静寂と悲しみに溢れる村内を歩くと、言葉で言い表せない虚脱感に落ち込み、廃虚化する人々の生活のありさまをこの目で見つめるしかありませんでした。


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